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福岡高等裁判所 昭和29年(ネ)438号 判決

控訴人 被告 諸熊武康

訴訟代理人 山中伊佐男 伊吹幸隆

被控訴人 原告 福本岩己

訴訟代理人 岩本健一郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人等は、「原判決を取消す。被控訴人の本訴請求を棄却する。昭和二十二年十月三十日本件当事者間において、原判決添付目録記載の物件についてなされた売買契約が無効であることを確認する。被控訴人は控訴人に対し原判決添付第一、第三目録記載の物件を明渡し且つ昭和二十二年十一月一日以降昭和二十六年十二月三十一日迄は一ケ月につき金一万円、昭和二十七年一月一日以降右明渡迄一ケ月につき金二万円の各割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、

控訴代理人等において、「残代金の分割払が毎年六月末日迄の約定であつたことは否認する。それは毎年十二月末日払の約定であつた。残代金とは別個に控訴人主張の地料相当の損害金は昭和二十五年十二月分迄支払を受ける約定であつた。したがつて、所有権移転登記手続は残代金の外に右損害金の完済と引換にする約定であつた。被控訴人から控訴人に、昭和二十五年六月三十日金三千円を提供した事実、したがつて、その受領を控訴人が拒絶した事実はない。本件土蔵(第三目録記載物件)の登記簿上の名義が諸熊康人となつていること、右康人は控訴人武康の誤記であることは認める。」と述べ、被控訴代理人において、「仮に本件売買契約をなすについてその法律行為の要素に錯誤があつたとしても控訴人に重大な過失があつたのでその無効を主張し得ない。被控訴人が昭和二十二年十月以降店舗(第一目録記載物件)及び土蔵を占有使用している事実を認める。控訴人が被控訴人から地料相当の損害金として毎月金三千円宛昭和二十五年十二月迄支払を受ける約定であつたとの主張は否認する。したがつて、残代金の外に右損害金完済と引換に所有権移転登記をする約定であつた事実も否認する。金三千円の金員(金利引当金)を最後に支払つた日時は昭和二十五年六月二日であつて、これは同年の五月分である。昭和二十五年六月分を支払つていないのは、同年六月三十日被控訴人が控訴人に三千円を提供したが控訴人においてこれが受領を拒絶したからである。なお、本件土蔵の登記簿上の名義が諸熊康人となつているのは右康人は控訴人の武康の誤記である。」と述べ、証拠として、被控訴代理人において、甲第十五号証乃至第十七号証の各一、二を提出し、当審における検証の結果、及び証人松永直孝、川島関雄、馬場庄之助、橋田伝一郎、帯谷松五郎、小中譲、林田七五三二の各証言、被控訴本人福本岩己(一、二回)の尋問の結果を援用し、乙第一号証の二、乙第十二号証、第十三号証の各成立を認め、乙第十一号証を不知と述べ、控訴代理人等において、乙第一号証の二(原審において提出した乙第一号証を乙第一号証の一とし、)乙第十一乃至第十三号証を各提出し、当審における検証、鑑定人山本藤次郎、寺田実の各鑑定の結果、証人吉本藤太郎、稲田文明、諸熊武治、百崎千代治、荒木正人、田川務の各証言、控訴本人諸熊武康(第一、二回)の尋問の結果を援用し甲第十五号証乃至第十七号証の各一、二の成立を認めた、

外は、原判決事実摘示のとおりであるからここにこれを引用する。

理由

本件係争物件が控訴人の所有であつたことは当事者間争いないところであつて、被控訴人は控訴人から買受けたのは本件係争物件全部、即ち原判決添付目録第一記載の住家のみではなく、同第二、第三記載の土地及び土蔵を含めたものであると主張し、控訴人は本件係争物件中右土地及び土蔵はこれに含まないと抗争するのが主要の争点であり、右争点を含めて被控訴人の主張事実につき判断するに、成立に争のない甲第七号証、第八号証、第十一号証乃至第十四号証の記載内容、当審証人川島関雄、馬場庄之助、橋田伝一郎、帯谷松五郎、小中譲、林田七五三二、田川務の各証言、当審における被控訴本人福本岩己の尋問(第一、二回)、原審竝びに当審における検証、原審における鑑定人小中譲、同帯谷松五郎当審における鑑定人山本藤次郎、寺田実の各鑑定の各結果を綜合すると、被控訴人主張のとおり本件係争物件全部について売買されたものであり、土蔵及び土地を除外したものでないこと、その他被控訴人主張事実全部を認めることができる。即ち、更にこれを詳述すれば、(一)被控訴人は本件売買契約の日以前から本件物件の管理を控訴人から委託されたと称する訴外岡本清次より本件土蔵を含めた本件建物を賃借して、商業を経営の目的で既に占有使用していたのであるが、本件土蔵はその形式外観内部の構造は固より被控訴人の当時の使用状態からするも、当然本家たる住家に従属したものであり、右土蔵と右住家を以つていわゆる店舗をなしているものというも過言でないにもかかわらず、本件売買契約に際して、特に右土蔵を売買の目的物から除外するの表意とてなかつたのである。(二)一般に、土地とその地上の家屋とが同一所有者に属する場合においては、土地と共に家屋を買受けるのが常態であり、若し家屋のみを買受ける場合には、解家若くは移築の場合を除いて、その土地を使用することのできるように売主との間に、その土地についての地上権若くは賃借権等の設定について何等かの協定が存在するのが当然であり、そのことなくして、漫然として家屋のみを買受ければ、後日において、土地の所有者との間に紛争を生ずることの危険は避けられないところであるから、特別の事情のない限り、土地使用に関する協定の見通しのできた上でなければ家屋の売買を決するものではないというべきところ、本件売買契約に際して特に本件土地についてはこれを売買の目的物から除外することの意思表示がなかつたばかりでなく、土地使用に関する何等の協定もが存在しなかつたのである(後記措信しない証拠を除いて)。(三)若し、土地の占有使用の権限を得ることなくして地上の家屋のみを買受けんとする者は、その家屋の解家若くは移築の場合を予期した極めて低額な価格でなければ買受けに応じないのが通常であるというべきところ、本件売買の価格は当時の時価からすれば、本件係争の土地、土蔵を含めた係争物件全部の価格としてのみ相当であり、本件住家のみの価格だとすれば著しく高価なものであり、しかも、新円の窮屈な当時の金融事情から、そのような高価な値段で本件住家のみを買受けるというが如きは極めて異例なものといわねばならない。(或は控訴人は代金のうち二十万円は即金だが、残代金三十万円は三年間の分割払であるから、その点を斟酌すれば本件住家だけだとしてもそれ程の高価なものでないというかもしれないが、本件契約では昭和二十三年一月から同年四月迄は毎月二千五百円宛、昭和二十三年五月以降は毎月三千円宛を残代金の金利引当として支払うことを約しているのであつて、右金利は残代金に対し当初は年約一割、残代金が支払われるにつれて、二割若くは三割に該当するのであるから、分割弁済による期限の利益は右金利の負担によつて差引かれ、年賦払であることが特に価格に影響を及ぼすべきものではない。なお、控訴人は右二千五百円乃至三千円の月払金は地代相当の損害金として支払う約だというけれども、そうでないこと後記説示のとおりである。もつとも、本件売買契約後残代金完了迄の間において、経済界におけるインフレが昂進して貨幣価値が低下し、反対に土地建物等の物価が著しく昂騰したがため、控訴人が即金で支払を受ければ格別三年年賦の残代金支払では到底割に合つたものといえない結果に立ち至つたことは、控訴人に気の毒ではあるけれども、かかる戦後の経済界における激変を予想して本件売買代金を定めたものではないから、後日に突発した事情を斟酌して当初の売買価格の適否を判定することのできないこと言を俟たない。)(四)したがつて、以上(一)乃至(三)の各点の外に前記の各証拠により窺い得られる契約当時の諸般の状況によるなれば、他に反対の証拠のない限り、被控訴人が本件係争物件につき「土地、土蔵、住家」をと個別を明示してその一括取引であることをいわなくとも、「あの店舗」をというだけで、本件土地土蔵をも含めた本件係争物件全部を被控訴人が買受けたい趣旨でそのようにいうていることは控訴人においても直ちに了解し得られる状況にあつたものであり、控訴人は被控訴人のいう店舗とは本件係争物件全部を指示していることを承知して承諾の意思表示をしたものであると解するのが相当である。後記措信し難い証拠を除いては右認定を覆えすに足る証拠はない。したがつて、本件売買契約において双方の意思表示に何等不合致の点はなく、又意思と表示とも不一致はないのであるから、要素の錯誤の問題を生ずる余地はない。控訴人は本件売買契約に際し特に土地及び土蔵を除いた旨を明かにしているとか前記二千五百円乃至三千円の月払金は地代に相当するとかいうているけれども、右主張にそい、若くはそうかのような原審竝びに当審証人吉本徳太郎、諸熊武治、当審証人稲田文明の各証言、当審における控訴本人諸熊武康の尋問(第一、二回)の結果、及び甲第六号証(乙第四号証と同一文書で証人吉本徳太郎に対する尋問調書)、乙第五号証(稲田文明の証人調書)、乙第七号証(諸熊武治の証人調書)、乙第八号証(諸熊武康本人尋問調書)の記載内容は、前記各証拠に対照して措信し難いところであるのみならず、控訴人竝びに控訴人の代理人として主として本件売買の交渉にあたつた控訴人の父諸熊武治は何れも医師として長崎県において知名の士であるばかりでなく、控訴人の父は他にも多数の不動産を所有し、不動産売買賃貸等の経験を有すること、前記証拠により認め得られるのであるから、かかる控訴人が本件売買において土地及び土蔵を除外していたものとするならば、土地について地代賃料等を協定しないで三年の永い間その侭放任したり、売りもしない土蔵を被控訴人に使用させた侭にして置いたり、前記証拠により認められるとおり売らない土地の地租を被控訴人に支払わせるというが如きことは、他に特段の事情のみられたい限り到底理解し得られないところであつて、控訴人の主張は到底採用し難い。

なお、控訴人は、本件売買契約において所有権移転登記は残代金の外に地代相当の損害金の支払が完了と同時にする定めであつたと主張するけれども、本件の二千五百円乃至三千円の前記月払金は、控訴人の主張するような地代相当の損害金ではなく、金利であることは前記認定のとおりであるし、又被控訴人は残代金を完済しているばかりでなく、昭和二十五年五月分迄の金利も弁済しているのであつて、ただ最終の同年六月分は、同年六月三十日に控訴人に提供したが控訴人において受領を拒絶したものであることは前記証拠により明かであり、他面、売買契約においては、所有権留保の特約のない限り、右契約と同時に所有権は売主から買主に移転するものであり、本件のように残代金の支払完了と同時に所有権移転登記を約した趣旨が、よしや右残代金の完了迄その所有権を売主において留保しておく意味だとしても、既に被控訴人が残代金の支払を完了し、単に一ケ月分の金利(控訴人は昭和二十五年十二月末日迄は毎月三千円の支払義務があると主張するけれども、右三千円は残代金最終支払期限の同年六月末日迄であること前記証拠により明かである。)の未払を残すのみであるのみならず、しかもそれは控訴人がその受領を拒絶したからのことであつてみれば、かかる対価関係に属しない附随的な、あまつさえ、僅少の債務の不履行を理由として、本訴の所有権移転登記をする義務について同時履行の抗弁権の行使をすることが失当なこと原判決の説示のとおりである。

しからば、前記措信し難い証拠を除いては、右認定を履えし控訴人の主張を認めるに足る証拠はないので、被控訴人の本訴請求を正当として、認容すべく、控訴人の反訴請求の失当であること本訴の判断により自ら明かなところであつて、結局被控訴人の本訴請求を認容し、控訴人の反訴請求を棄却した原判決は正当で本件控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法第三百八十四条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑原国朝 裁判官 二階信一 裁判官 秦亘)

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